河童神社(大積天疫神社)

平家が壇ノ浦で敗れた時に、男性は平家蟹に、女性は河童に身を変えたという伝説のある神社でその河童を祀った神社です。正式名所は、大積天疫神社。大積神楽のある神社です。 大積に住んでいる人はおみくじを買わされるということです。小さな神社で当番制で掃除をするということです。場所:大積 水天宮バス停下車か大積東口バス停下車。 ここは、平家関係がまとまってある場所です。


大積天疫神社



水天宮

安徳天皇が乳母と共に海に身を投げた後を追って、女性達が海に身を投げた。その遺体が大積の海岸に打ち上げられたことに対して水天宮を作ったようです。(写真:一番左の下の写真)

証文石

文明年間、丸山上の殿様・大積親秀が領内を巡視中、一匹のカッパが現れその馬を川の底に引き込もうとしました。驚いた馬は暴れ、親秀はカッパを刀で切りつけようとすると、川原の石を指さしてこの石が朽ちるまで禍を及ぼさなと誓ったので石を証文としてカッパを許しました。

海御前の碑
(あまごぜ)

源平合戦の折、平教経の奥方の遺体が大積の濱に打ち上げられたのを里人が葬り、碑を建立したもの。壇ノ浦の合戦で破れた平家は、海底に身を投じました。海御前はそのカッパの総大将だったと言われています。


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河童神社の反対側

証文石

海御前の碑

鳥居の反対側

証文石




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