西生寺

江戸時代になり参勤交代制が実施されると、宿場」と呼ばれる宿を持つ町が誕生しました。そのひとつ大里宿場は、 本土へ渡る海の玄関として、 九州の大名をはじめ多くの人でにぎわっていた。当時この宿場の中にあった西生寺はお寺だけではなく、 本陣 (大名が宿泊した公認の旅館)としても利用されていたが、本陣を別に設けることになり細川公(移設後は小笠原公)のお茶屋浜御殿(殿様の別荘のようなもの)のある現在の場所へと移設した、 今でもお殿様が愛用していた「茶の湯の井戸」が残されている。場所:大里本町3



西生寺本堂

西生寺福間松の碑



判行寺石碑跡

西生寺



「福間松」碑 毛利輝元の家臣福間元明は1586(天正14)年豊臣秀吉により命ぜられた小倉城攻略に参加し柳ヶ浦での合戦で戦死した。亡骸は元明の郎党らにより大里の浜に葬られ、その場所を標すために松が植えられた。 1781年元明の子孫が訪れ、 松の傍らに 「福間松」の碑を建てた。 その後、 碑は1922年頃小森江に移され、更に1940(昭和15)年頃西生寺境内に移された。

※ここのお寺は、かなり古お寺なので檀家も多いようです、久ぶりに行ったらすごい。 掲載写真は本堂が1枚、「福間松」等。


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